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道後温泉本館に遊ぶ

2016年は夏目漱石没後100年

『坊ちゃん』も舞台となった道後温泉の本館は、当時のままのレトロな建物が残されている。「西洋手拭いの大きな奴をぶらさげて行く」という坊ちゃんと同じ体験が、楽しめるなんてスゴいと思いませんか。

明治27年に完成した道後温泉は夏目漱石も入浴

 有馬温泉、白浜温泉と並んで日本三古泉に数えられるのが道後温泉。古代には「にきたつ」(煮えたぎる湯の意)と呼ばれ、『万葉集』などにも登場している。 伊予国(いよのくに/現在の愛媛県)には古代から温泉郡という地名があったがこれも道後に温泉が湧いていたから。さらに伊予(いよ)も湯(ゆ)が転じたという説もあるほどだ。
 古代に伊予国の国府(行政の中心)は越智郡(現在の今治市辺り)にあったが、京から見て国府よりも遠い地域を「道後」、近い場所を「道前」、国府のある場所を「道中」と呼んだのが地名の由来。温泉が湧き古代から発展していた道後温泉に古き地名が残ったというわけだ。
 江戸時代に松山藩は徳川家康ゆかりの松平家が藩主を務めるが、1680(延宝8)年に道後温泉の入浴規定を定めるなど温泉経営に尽力。そして明治27年には道後温泉本館が完成している。
 『坊つちやん』の中で漱石が絶賛した建物は今も健在だ。『坊つちやん』は、夏目漱石が明治28年の1年間、松山中学教師としての体験をもとに書き上げた小説。
「温泉は三階の新築で上等な浴をかして流しをつけて八銭ですむ」というくだりは、まさに建てられた翌年に漱石が入浴していることの証だ。「西洋手拭いの大きな奴をぶらさげて」坊ちゃんは、この温泉に通っている。

国の重要文化財、「近代化産業遺産」に認定

 明治27年に完成した道後温泉。夏目漱石が松山中学の英語教師として赴任したのは、本館完成の翌年。夏目漱石の小説『坊つちやん』は舞台が四国・松山とは記されていないが、「住田」の温泉として登場(「毎日住田の温泉へ行くことに極めている。」)。残された漱石の書簡には「道後温泉はよほど立派なる建物にて、八銭出すと三階に上がり、茶を飲み、菓子を食い、湯に入れば頭まで石鹸で洗ってくれるような始末、随分結構に御座候」とある。
 残念ながら、現在では頭まで石鹸で洗ってもらうことはできないが、3階には漱石の娘婿・松岡譲氏の命名による「坊つちやんの間」が現存している。
 国の重要文化財、経済産業省の「近代化産業遺産」に認定された道後温泉本館のシンボルが三層楼の屋上にある振鷺閣。時刻を告げる「刻太鼓」が今も朝、昼、夕に鳴らされている。
 浴室は、神の湯と霊の湯(たまのゆ)があり、それぞれの休憩室などの利用によって4つの入浴コースが用意されている。皇族専用の又新殿は見学のみ可能。
 坊っちゃんが松山に赴任した明治28年には、汽船はまだ高浜には寄港していないため、漱石は三津浜に上陸。三津浜からはマッチ箱のような汽車(軽便鉄道)で松山駅(現在の伊予鉄道松山市駅)へ。さらに人力車で城戸屋(小説では山城屋)という宿屋に落ち着く。残念ながら城戸屋だった建物は平成24年に解体されている。

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