loading

心豊かになる旅・ワクワクドキドキの旅しませんか?

ニッポン旅マガジン

旬の特集

善光寺御開帳記念 善光寺の秘密に迫れ!

善光寺のご本尊は40年間も流転していた!?

7年に一度の善光寺御開帳で、御開帳されるのは、秘仏の本尊ではなく、前立本尊。実は善光寺のご本尊は記録に残る限り、誰も見たことがない。ところが戦国時代に、信玄、信長、家康、秀吉のもとを40年間も転々と!

信玄、信長、家康、秀吉のもとを転々と流転

「記録に残る限り、誰も見た人はいないと思います」(善光寺寺務局)という超の付く秘仏の善光寺ご本尊。
 ところが、その秘仏が転々と流転の身になったことがあったのだという。
 きっかけは、善光寺の建つ善光寺平が戦場になったこと。上杉謙信と武田信玄が激突した川中島の合戦は、実は5回にも渡っています。この時、「ご本尊を戦火にさらしてはまずい」と考えた信玄は、ご本尊をまずは支配下の佐久に遷します。さらに佐久も危ないと本拠地の府中(甲府)へ。この場所が、今、甲斐善光寺が建つ場所です。外観も善光寺にそっくり。
 信玄没後に、武田家は滅亡してしまいます。武田勝頼を自害へと追い込んだ信長は、ちゃっかり、「天下布武」(てんかふぶ)のスローガンを掲げた岐阜城下へと遷します。これが、現在の岐阜善光寺。
 ところが直後に信長は本能寺の変で明智光秀に討たれます。そこで信長の次男・織田信信雄は、本拠の尾張(愛知県)の甚目寺(じもくじ/愛知県あま市)に遷します。途中で休憩した場所が現在の善光寺東海別院(愛知県稲沢市祖父江町)。甚目寺に善光寺のご本尊が安置されたことは、愛知県民もあまり知らない事実です。
 ところが、そこも安住の地ではなく、翌年、今度は徳川家康が浜松の鴨江寺(静岡県浜松市中区鴨江)に遷します。「浄土宗の寺に置くのがいい」という理由を付けてのことですから、時の権力者にとって善光寺のご本尊はいかに大切な仏様だったかがよくわかります。
 そんな大切なご本尊を豊臣秀吉が見過ごすはずもなく、1596(慶長元)年の大地震で京の大仏殿が崩壊してしまったことを理由に、甲斐善光寺に戻されていたご本尊を方広寺(京都)のご本尊として迎えます。
このころから豊臣秀吉は病気がちとなり、善光寺ご本尊の祟りという噂も流布。さすがの秀吉も1598(慶長3)年、信濃に戻そうと決意しますが、なんとご本尊が出発した次の日に豊臣秀吉は亡くなっています。
 こうして大切なご本尊はようやく信濃に戻ったわけですが、転々とした先の善光寺は、今回の信濃の善光寺御開帳に合わせて、「六善光寺同時御開帳」を行なっています。

善光寺御開帳記念 そもそも御開帳っていったい何なの?

善光寺御開帳記念 善光寺に隠されたトリックを探せ!(PART1)

善光寺御開帳記念 善光寺に隠されたトリックを探せ!(PART2)

善光寺御開帳記念 善光寺に隠されたトリックを探せ!(PART3)

六善光寺同時御開帳! 甲斐善光寺

六善光寺同時御開帳! 岐阜善光寺

六善光寺同時御開帳! 祖父江善光寺東海別院

ページトップへ